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知られざるアメリカの食文化
アメリカには多彩な食文化があり、人びとのライフスタイルを豊かにしている。日本では残念ながら副題のごとく、その事実はあまり知られていない。アメリカ生まれのファストフードやパック旅行で連れて行かれたレストランでの食体験から、アメリカの食文化は評価されがちである。しかし、彼の地の自然、歴史、文化、社会を地誌学的に眺めてみれば、そこには溢れるばかりの食材があり、移住者たちが持ち込んだ多様な食生活があることを知らされる。ヨーロッパからの入植以来、アメリカがたどってきた歴史を振り返りながら、アメリカ食文化の変遷をたどる。

大自然が育む食材の宝庫  
中世を通じて食料不足に悩んでいたヨーロッパに比べ、アメリカ先住民たちは実に豊かな食生活を送っていた。変化に富んだ気候は、広大なアメリカ大陸に豊かな固有の植生をもたらし、大西洋と太平洋の漁場は大量の海の恵みに溢れていた。トウモロコシ、インゲン豆、ジャガイモ、トウガラシ、カカオ、ピーナッツ、カボチャ…。現在は当たり前のように食べているこれらの食材をアメリカ大陸以外の人びとが知ることになるのは、コロンブスがこの大陸を発見した15世紀以後の話なのである。それに加えて植民地時代に持ち込まれた農法や畜産、そしてヨーロッパや中南米などから伝播された種苗などによって、北米は他の大陸には見られないほどの食材の宝庫となった。

21世紀を先取りしていた先住民の食卓
アメリカの食文化といえば「ファストフード」や「加工食品」という短絡的なイメージを思い浮かべてしまう人たちが多いが、もともと食材に恵まれたこの大陸にはアメリカ先住民が築き上げた健康的でバラエティに富んだ豊かな食文化があった。自然の恵みをあますことなく取り入れ、栄養学的にもすぐれた先住民の食生活は、生活習慣病に悩む現代人が目指すべきヘルシーな食生活であった。実際、肥満が深刻化しているアメリカでは、高カロリーで糖分過多な現代の食生活とは対照的な高タンパク質低脂肪の先住民の食事に対する評価が高まっている。
先住民が何千にもわたって育んできた食文化や、彼らの伝統食が体験できる先住民専門料理のカフェなどを紹介する。

Hearth(暖炉)とHome(家)が同義語の時代
電気もガスもなかった時代、主婦の朝一番の仕事は暖炉に火をくべることだった。暖炉は単なる暖房装置ではなく、煮焚する場所でもあったから、真夏の暑いさかりでも火を消さないように管理するのが主婦の大切な役目だった。何もかもがボタン一つで操作できる現代のキッチンとはことなり、暖炉の装置は実に原始的にみえる。それだけに上手に火を操って料理することは簡単なことではなかった。重労働であるばかりでなく、しばしば大きな事故も引き起こしたという暖炉での料理作りは、女性にとってはとても危険な仕事だった。19世紀後半のニューイングランドの町を再現したOld Sturbridge Village(マサチューセッツ州)を訪ね、当時の主婦の働きぶりを取材した。

伝統と進化が織りなすアメリカの地域料理

他民族によって成り立っているアメリカの特長は多様性にある。食文化も同様で、それぞれの地域の気候や地形、産物、そしてその地に入植した人びとが持ち込んだ食文化と古くからその地に住むアメリカ先住民の食文化が混ざり合い、個性ある郷土料理が生まれた。広大なアメリカ大陸を5つに区分し(Eastern Seaboard, Gulf & Southern, Heartland, Pacific Western, South Western)、各地域の郷土料理を解説すると同時に、有名なシェフやその地域での家庭料理なども紹介する。


写真提供:アメリカ大使館アメリカ農産物貿易事務所


マイノリティだからこそ、アイデンティティを守りたい

世界各国からさまざまな人種が集まる都市ニューヨーク。日本でニューヨークといえばマンハッタンを思い浮かべる人が多いようだが、実際はNew York Cityを構成する一部にすぎない。マンハッタンの東を流れるイーストリバーの対岸にあるブルックリンやアストリア地区。北に広がるブロンクス地区では、マンハッタン以上に多彩な民族や文化が混在し、特色あるコミュニティを形成している。こうしたエスニック・コミュニティを歩き、個性豊かな食文化の数々を集めてみた。


アメリカ食文化の旗手たちが巣立つ“料理大学”
プロの料理人を育てる料理専門大学Culinary Institute of America、通称CIAはマンハッタンから車で2時間、ハドソン川を見下ろす風光明媚な高台にある。かの有名なフランス人シェフ、ポール・ボキューズが息子の教育の場に選んだといわれるCIAは、第二次世界大戦後、帰還兵士の職業訓練を目的として設立された。かつて修道院であったという瀟洒な建物の内部には充実した設備が整い、生徒18人に一人の割合で指導にあたる多彩な教授人、構内にあるレストランやベーカリーで生徒に実習の機会を設けるなど、恵まれた教育環境には目を見張る。料理学校にとどまらず、食をとりまくさまざまなビジネスに対応できる人材を輩出しているCIAには、世界30カ国から学生が集まってくる。厳しい実習に悪戦苦闘する学生の姿を追いながら、世界の料理界をリードする人材を育てるユニークな教育をリポートする。

海の恵みを惜しまないアラスカの大自然

アメリカ49番目の州アラスカは、合衆国全体の1/5の面積を占める。この広大無辺な大地は今もそのほとんどが太古のままに残されている。この豊かな自然に育まれたアラスカの海はまさに天の恵みの宝庫であり、世界最大の漁場とも呼ばれている。アメリカで水揚げされる水産物の55%はアラスカ産で、とくに日本人にもなじみの深いサケはその95%を占める。そして何より驚かされるのは、アラスカで獲れる魚には、養殖モノは一切含まれず、100%天然モノだということだ。世界的に魚の個体数が減り、漁業に深刻な影を落としている昨今、古くからアラスカ州政府が進めてきた水資源確保のための努力は多くの示唆に富んでいる。


写真提供:アラスカシーフードマーケティング協会日本連絡事務所


キッチンテーブルほど、大切な家具はない

16世紀、信仰の自由を求めてヨーロッパからたくさんの人びとがアメリカに移り住んだ。旧秩序派アーミッシュと呼ばれる人びともまた、宗教上の迫害をのがれてペンシルバニア州ランカスターに移住し、今も2万程の人たちがこの地で暮らしている。映画『刑事ジョンブック目撃者』でアーミッシュを知った人も多いだろうが、彼らの生活は映画に描かれていた通り、今も質素な衣服を身にまとい自動車も電機も使わぬ暮らしを続けている。だからといって、彼らから偏屈で排他的な態度はみじんも感じられない。取材で出会った人たちはみな明るく親切な人たちであった。物質文明に左右されることなく、謙虚であること、家族の絆を大切にすること、そして決して争わないアーミッシュの生き方は、豊かさの中で心のやすらぎを見失ってしまった現代人に、多くを語りかけている。


写真提供:Pennsylvania Dutch Convention & Visitors Bureau


古都探訪―南部料理の原点を求めて

イギリス人が初めてアメリカ大陸に上陸し、ニューイングランドとヴァージニアに植民地を築いてから400年あまりが経とうとしている。2つの都市のうち、気候に恵まれ、プランテーション方式の農業を展開させたヴァージニアでは、莫大な富を背景に豊かで洗練された食文化が育った。現在では、当時の街並みや人びとのライフスタイルをそのまま復元したコロニアル・ウィリアムズバーグのタバーン内で当時の食文化を体験することができる。ここでは、先住民、イギリス、アフリカの食文化が融合して生まれた伝統的な南部料理を味わえるだけでなく、サザンホスピタリティと言うべきあたたかなもてなし文化を垣間見ることができる。古都ウィリアムズバーグでヴァージニアの歴史を振り返り、ユニークな食文化を育んだ背景を探る。


写真提供:Colonial Williamsburg Foundation


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